フォーカス
礼拝にフォーカスを当てる
ヨハネ 4:23
注目してください。古いタイプの街灯を持ってきましたが、作られた役割を果たしていません。灯が点いていません。電源につながっていないからです。電源につなげば、問題が解決できます。いいですか。そこが問題なのです。電源がなければ、灯もありません。電源につなげば、灯が点いて、正常に機能します。この街灯は明かりを放つために作られました。
信者の皆さんの中には、この街灯のような人、イエスのために光ろうと試みても、電源につながっていない人がいます。今日のテーマは礼拝です。ここに礼拝に来たのに、電源つまり全能の主なる神につながっていない人がいます。そういう人たちは、自分自身につながろうとしています。つまり、自分自身の力、自分自身の礼拝を作り出していて、まったく機能していません。これを目に見えない電源につなげてください。ほら灯がつきました。
皆さんはこの灯のようですか? 信仰の電源つまり神の聖霊につながらないで、物事を自分でやろうとしていませんか? 全能の神の超自然的な力という電源があって、皆さんも利用できることに気づいて下さい。
今日は礼拝についてお話しします。「礼拝にフォーカスを当てる」というタイトルです。皆さんが、神につながっていて、毎日ひとりでも礼拝し、日曜日にTBCのセレブレーション・サービスに来ているのなら、主を讃美するために十分整えられた心からの礼拝です。つまり、毎日神を礼拝すれば、日曜日に神と出会い礼拝する上で、もっとよく準備が整うということです。
詩篇 44:8 「私たちはいつも神によって誇りました。また、あなたの御名をとこしえにほめたたえます。」(新改訳)
礼拝は、東京バプテスト教会の5番目の目的です。シリーズの最後に礼拝について話しますが、他の4つの聖書的な目的の一つ一つを実践するときも、皆さんは礼拝しているのです。
TBCの5つの目的
1. 信仰の成長
毎日のクワイエット・タイムでキリストに会う時、キリストにあって成長するとき、皆さんは主を礼拝しています。
2. ミニストリー(奉仕)
仕えるとき、皆さんは礼拝しています。
3. ミッション(伝道)
伝道する時、神が礼拝されています。
4. メンバーシップ
キリストの体の一部となることは、神を礼拝しています。
5. 礼拝
皆さんがすることは何でも、神の栄光のために行なうのであれば、礼拝です。
1 コリント 10:31 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(新改訳)
ポイント:日々神にフォーカスを当てていれば、皆さんは神を礼拝しています。
礼拝には二つの方法があります。
礼拝のアイデア
皆さんには両方のタイプの礼拝が必要です。個人としての礼拝である日々のクワイエット・タイムと毎週のグループでの礼拝の二つです。
重要な質問
個人的な礼拝の時間を持っていないのに、グループでの礼拝で神とつながることが出来るでしょうか?
重要なポイント
週の間の個人的な礼拝は、日曜日の大人数の礼拝で、神と完全につながるために必要です。
ポイント:礼拝は日曜日のセレブレーション・サービスの時だけのためにとっておく、というものではありません。
皆さんは毎日神と会いながら、個人的な礼拝の時間を作り上げているはずです。ご存知のように、ジュディと私は毎日、朝にクワイエット・タイムを持ち、一緒に祈っています。ジュディは今、アメリカにいて、私は約3週間後に合流しますが、今も、スカイプというコンピュータの電話を使って、一緒にクワイエット・タイムを持ち、祈っています。ポイントは、毎日の個人的な礼拝の時間が重要だということです。
いいですか。個人的な方法や自分だけの方法で、神と二人だけで過ごせる場所で、神を礼拝する習慣が付いていないのに、セレブレーション・サービス(グループでの礼拝)で、神とつながり、真に神を礼拝できるとは考えにくいです。
重要なポイント
もしあなたが個人的な礼拝を持っていないのなら、あなたは礼拝する者というよりはむしろみんなの礼拝する姿を傍観する者といえるでしょう。
個人的な礼拝は、グループでの礼拝、TBCのセレブレーション・サービスのために、皆さんを備えます。
詩篇34は、毎日の個人的な礼拝と毎週のグループでの礼拝の両方の重要性について話しています。
詩篇 34:1 「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」(新改訳)
詩篇 47:2 「まことに、いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王。」(新改訳)
詩篇 145:3 「主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。」(新改訳)
私たちの神は偉大で、力強く、全能で、そして救い主です。さあ、歌いましょう。
SONG HOW GREAT IS OUR GOD!!
歌 「わがたましい 主をほめよ」
覚えていてください。聖書は「常に主を礼拝する、絶えず神を礼拝する」と言っています。
つまり、起きた時、仕事中、シャワーを浴びている時、身支度の間、電車や地下鉄に乗って仕事に行く時、ランチの時、お決まりの事をしている時、いつでも神を賛美することです。皆さんの人生は、生ける神を毎日礼拝するものです。言い換えれば、皆さんがすることは何であっても、神を礼拝しているか、礼拝していないかのどちらかです。
これまでにこの場所以外で歌ったことはありますか? 音楽を聴いたことは? 私は歌えませんが、神を礼拝することは止めません。皆さんは、毎日音楽を用いて神を礼拝することができます。私は、音楽を聴きながら、トレッドミルで走ったり歩いたりエクササイズをしている時、最も親密な礼拝の時間を過ごしています。
全てのことがうまく行かない時も、神を礼拝することはできます。病気の時も神を礼拝できます。全てのものが失われた時も礼拝は可能です。お腹がすいている時や失業している時も礼拝することはできます。
質問
最初の礼拝が聖書にあります。知っていますか?
それは、アブラハムが神の命令により息子を生けにえに捧げるために、山頂に出かけた時でした。アブラハムはグループで山に向かい、この難しい出来事を礼拝のための時間だと言いました。創世記 22:5「それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る。」と言った。」(新改訳)
ヨブという名の男は、全てのもの、全財産と子供たち全てを失った後、それでも神を礼拝しました。一人の人がヨブのところに来て、言いました。ヨブ 1:19「そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです。」(新改訳)
20-21節がヨブの返事です。「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」」(新改訳)
「人生に何が起きようと私は神を礼拝します」と事前に決めておくべきです。例えば、悲しい時、落ち込んでいる時、孤独な時、神を礼拝して下さい。言い換えると、悪い知らせが神を礼拝するきっかけとなります。なぜなら、神がいつもコントロールしているからです。
ポイント:礼拝は、日曜日であろうと週の他の日であろうと、ある定められた時にしか行わないというものではありません。
礼拝とは、礼拝に帰すライフスタイルです。
詩篇 119:164 「あなたの義のさばきのために、私は日に七度、あなたをほめたたえます。」(新改訳)
聖書で使われている7という数は完全な数です。この聖句では、礼拝と賛美の態度を継続するという意味です。礼拝は呼吸です。皆さんは常に礼拝するために造られました。
礼拝するために、この会堂のような場所にいる必要はありません。音楽も快適さもサウンドシステムもパワーポイントも他の人たちも神を礼拝するためには必要ありません。これらの物は、礼拝に付け加えられ、礼拝をいっそう良くするかもしれませんが、神を礼拝するために必要なわけではありません。
ポイント:礼拝は、皆さんと神との間の親密な関係の結果です。礼拝は皆さんと神との関係を反映しています。
ピリピ 4:4 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(新改訳)
皆さんが、いつも主にあって喜ぶとき、それが礼拝です。
1 テサロニケ 5:16-19 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(新改訳)
これを行なうとき、それは礼拝と呼ばれます。
ピリピ 4:6「何も思い煩わないで」(新改訳)
これが礼拝と呼ばれています。
マタイ 23:37 で、イエスは「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(新改訳)とおっしゃいました。
これが礼拝と呼ばれます。皆さんにいくつか質問します。なぜ、聖書が命じているように、いつも喜んで、心配せず、思い煩わないでいられないのでしょうか? 喜びを持って歌えないのはなぜでしょうか?
礼拝を制限している二つの事柄です。
1. 生活のプレッシャーやストレスが、日々の喜びや毎日の賛美、つまり礼拝を圧迫して押し出しています。ポイント:週の間に完全に神を賛美できないから、日曜日の大きなグループでの礼拝に来て、主を賛美することが大きな理由となっていませんか?
2. 注意しないと、人生の娯楽が礼拝に取って代わってしまいます。自分の物や活動に大きな喜びを見出すなら、それらが礼拝に取って代わるでしょう。騒音公害や気が散る物である場合もあります。携帯電話は、個人的な礼拝にとって、時々グループでの礼拝にとっても、最も気が散ってしまう物です。
ポイント:プレッシャーやストレス、娯楽や散心が礼拝を妨げ、礼拝に取って代わってしまいます。
礼拝とは、生ける神と結びつくことです。旧約聖書において、エズラ 3:11 は、「そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、歌い合った。」(新改訳)と言っています。
人々の歌った言葉は、詩篇 136 にある「その恵みはとここしえに」(新改訳)でした。ところで、「その恵みはとここしえに」というフレーズは、詩篇136では26回繰り返されています。歌詞を何度も繰り返し歌うとき、私たちは聖書にあることをやっているのだと思い出しましょう。
覚えてください。礼拝は、個人的に自分だけで行なえるし、スモールグループのような少人数でも行えるし、またTBCのセレブレーション・サービスのように大人数でも行えます。
礼拝とは何でしょうか?
礼拝とは、そこにおられる神聖なる神に対する人間の反応です。
言い換えると、私は神の存在を信じています。ですから、どこでも神を礼拝します。聖書に基づく礼拝は、神への個人的な賛美を表しています。覚えてください。礼拝は、神に対する温かく興奮している感情ではなく、神への個人的な賛美を自分で表現したものです。
ポイント:大きなグループとして礼拝するとき、歌詞にあるメッセージを注意して見てください。音楽だけにとらわれて、気分がよくなるために歌うのではなく、音楽を聴き、神を賛美し崇える助けとなる歌詞を歌うようにしましょう。
礼拝のアイデア
TBCのセレブレーション・サービスの目的は、神をほめたたえることです。
礼拝する人たちを喜ばせることではありません。
重要な質問
セレブレーション・サービスの後、この会堂を出て、
l 音楽はどうだった?
l メッセージはどうだった?
と尋ねるべきではありません。
「私の礼拝はどうだったでしょうか? 主よ、あなたを礼拝しているとき、私はどうだったでしょうか?」と質問すべきです。
少し時間をとって、音楽と礼拝についてお話します。
TBCでの音楽は、礼拝において、とても大切で、重要で、必要です。皆さんが神にフォーカスできるように、音楽が助けてくれます。歌詞もまた重要です。音楽は礼拝の一部でも、礼拝に付け加えられものでも、礼拝のために皆さんを備えるためのものでもないことを覚えておいてください。
重要なポイント
音楽は、神への礼拝であり敬愛です。そして、音楽は、神や神の偉大さと栄光に焦点を当てるものです。
神は私たちに音楽と歌を与えています。詩篇 92:1 は「主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。」(新改訳)と言っています。
覚えてください。
聖書に基づく礼拝はたいていにぎやかです。
エズラ 3:11 と 13 は「そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。」(新改訳)と言っています。
詩篇 98:4-6 は「全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。立琴と歌の調べに合わせて。ラッパと角笛の音に合わせて、主である王の御前で喜び叫べ。」(新改訳)と言っています。
礼拝は、口からではなく、心から出ているはずです。礼拝は敬虔なものですが、敬虔は静かだという意味ではありません。詩篇 2:11 は「恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。」(新改訳)といっています。英語の敬虔という言葉は、あがめるとか褒めたたえるという意味です。旧約聖書で、あがめるという語は頭を垂れて従うという意味です。
エペソ 5:21 は「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。」(新改訳)といっています。reverence(敬虔)という語はここでは敬うという意味です。
英単語のreverent(敬虔な)やreverence(敬虔さ)の意味は
l 崇める
l ほめたたえる
l ひざまづずく
l 敬う
です。
ポイント:礼拝の音楽で、ほめたたえ、ひざまずづき、神を敬うという目的をもって、歌っていますか? 皆さんの礼拝の目的は、それでなけらればなりません。
ピリピ 2:9-10 「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、」 (新改訳)
この歌を聴いてください。 “WE ALL BOW DOWN”
礼拝のアイデア
TBCで大声で楽しく歌うことは、天国での礼拝のための練習です。
天国はにぎやかなので、準備する必要があります。
黙示録 19:1、3、6 では「この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。」彼らは再び言った。「ハレルヤ。」また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。」」(新改訳)と言っています。
静かな礼拝を望むなら、皆さんがすべきことは以下のことです。毎日、個人的な礼拝の時を持つべき重要な理由はこれです。
神はご自分を礼拝する人々を探しておられます。今日の聖句を見てください。
今日の聖句
ヨハネ 4:23 「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(新改訳)
ヨハネ 4 章で、イエスは井戸のところで立ち止まり、一人の女に水をくれるように頼みました。この女は5回も離婚を繰り返した女で、夫ではない男性と一緒に今も暮らしていました。でも、イエスは愛と救いを彼女に話されました。イエスはまた、彼女にとても力強い秘訣について話されました。
「御父、生ける神エホバは、ご自身を礼拝する人々、礼拝する者となる人々を探しておられます。」
次は、井戸でイエスとこの女との間で交わされた会話の断片です。
ヨハネ 4:19節 イエスは井戸で一人の女と話しています。
20節 主題は礼拝で、その女は「私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」(新改訳)と言いました。彼女はイエスにどこで礼拝すべきかを尋ねています。でも、イエスが21節で言われたことに注意してください。
「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」(新改訳)
つまり、大切なのは、礼拝すべき場所と方法ではなくて、何を礼拝するかです。
22節でイエスは、「救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。」(新改訳)と言われました。
今日、礼拝するために、ビーズや本、美しい服や像、頭の布や敷物や鐘を使っている人たちがいます。そして、祈る際にもひざまずきます。でも彼らは真の生ける神を礼拝していません。違ったプロセスや姿勢や手の合図を使っている人もいます。また、頭を垂れ、手をたたき、ひざまずいたりする人たちもいます。でも、それでも真の生ける神を礼拝していません。
イエスは、真の礼拝に対する答えを与えておられます。
ヨハネ 4:23 「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(新改訳)
真理とは、神の言葉の真実という意味です。聖霊とは神の霊であり、それは皆さんの内にあって神の霊とつながっています。
礼拝についての重要なポイント
神の聖霊がないのなら、礼拝ではありません。
このことを3つの質問にまとめてみました。
1. 大きなグループでの礼拝が、神に焦点が合っていますか? 気を散り、神への焦点や集中を妨げている物はありませんか? 音楽と歌詞は皆さんに語りかけていますか? 心で来週のことを考えたりしていませんか? 神の言葉つまり聖書が、歌詞や音楽の中に見えますか? 神が牧師という私を通じて皆さんに直接語っているのに、メッセージを礼拝の一部として見ていませんか? 信仰のリフレッシュのための時間としてセレブレーション・サービスに来ていませんか? 真の生ける神に会いにきていますか? 祈りや献金も、礼拝の時として見ていますか?
2. 皆さんの個人的な礼拝の時間は、神に焦点が合っていますか? 礼拝するのに役立つ場所や計画がありますか? 神の言葉や音楽を神を礼拝するために使っていますか? 皆さんの個人的な礼拝は一貫性があって、定期的で、個人的で自分のものとなっていますか? 自分だけで礼拝しているから、皆さんは人前で礼拝するのですか?
つまり、皆さんは、自分の個人的な礼拝経験がとてもパワフルなので、神や私たちとそれを公然と分かち合いたいから、ここにセレブレーション・サービスのために来ているのですか?
3. そうではないのなら、なぜそうではないのでしょうか? なぜ礼拝するのでしょうか? つまり、大きなグループでの礼拝と個人的な礼拝が完全に神に焦点を当てていないなら、なぜそうなのでしょうか?
信者の方々、それは罪です。神はご自分の子供たちにご自分を礼拝してもらいたいのです。皆さんがそうしないなら、今日、神のところに来て、人生の何かが拝を妨げていると告白する必要があります。
未信者の方々、皆さんを礼拝から妨げているのは信仰がないためです。神の霊を持っていないなら、神を礼拝することはできません。本当に神を礼拝し神につながることができないただ一つの理由は、信じる者ではないということです。
神を礼拝するために、皆さんは個人的に神を知らなくてはなりません。自分の救い主としての神に感謝するために、皆さんは救い主を持たなければなりません。
イエスを知らないなら、私が皆さんをイエスに紹介しましょう。イエスはしばらくの間、地上に来て暮らした神です。イエスは皆さんのために十字架で死なれました。イエスは皆さんのためによみがえりました。イエスを知るために、皆さんは自分の口を使って、自分は罪人であることと罪を取り払うためにイエスが必要であることを告白しなければなりません。そうすれば、皆さんは神を知ることができます。そして、聖霊と真理において、神を礼拝することができます。
祈りましょう。
デニス・フォールズ
東京バプテスト教会
2008年6月7日&8日