キリストのために生きて死ぬ
ピリピ1章21節
5/24&25/2008
私は、クリス・マカトリーです。ご存じないかもしれませんが、TBCでスチューデント・ミニストリーの牧師をしています。スチューデント・ミニストリーは、11歳から25歳の学生や青年のためのミニストリーです。もっとお知りになりたい方は、週報をご覧下さい。中学生(11−13歳)高校生(14−18歳)大学生と青年(18−25歳)のプログラムがあります。
デニス牧師・武牧師・ジョエル牧師・テッド牧師は、フィージーのミッショントリップに行っています。今週は私が、神の御言葉を皆さんに伝えるすばらしい特権を与えられました。
ピリピ1:21「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」(新改訳)今日の目的は、この聖句の意味を理解することです。「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」というパウロの言葉にはどんな意味があるのでしょう?
クリスチャンでない方は、「テロリストか何かの話では?」と思うかもしれません。いいえ、違います。パウロは人の命を奪う話をしているのではありません。それでは、どういう意味なのでしょう?
パウロは「自分中心」の人生ではなく、「神中心」の人生について話しています。それが、皆さんにとってどんなに不都合であっても、苦痛を味わうかもしれなくても、他の人に拒絶されることになっても、最悪、殺されることになっても、どんな代償を払うことになっても、キリストのために生きるという意味です。皆さんがキリストのために生きることも死ぬことも、キリストと永久に一緒だということです。
ローマ14:8「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」(新改訳)ですから、皆さんの人生には、日々キリストのために生きる機会が用意されています。
45フリーダム・キャンプについてお話しさせて頂きます。45フリーダム・キャンプは、TBCで8月17−24日に行われる無料の英語キャンプとホームステイプログラムです。このキャンプの主なターゲットは日本のノンクリスチャンの学生です。私たちの住む地域に奉仕し、イエス・キリストについて伝えるために行います。そのためには皆さんの助けが必要です。
このキャンプのために多くの助けが必要です。助けるということは、キリストのために生きる実践のひとつだと思います。その一つの方法は、ホームステイのホストになることです。昨年ホームステイをして頂いたチューンとジャニスさんを紹介します。このキャンプを通して、彼らの人生にどんなインパクトがあったかお話しして頂きましょう。
証し
チューンさんの 証し
昨年の45キャンペーン期間中、ホームステイのプログラムに家族で参加しました。その時の非常に貴重な体験をシェアーしたいと思います。この証しは、妻のジャニスと私の証しです。神が教会の近くにすばらしい家を用意して下さったので、学生のイングリッシュ・キャンプのために、家を開放することにしました。4人の高校生を受け入れることに決めました。
キャンプの日が近づくにつれ、私たちは躍起になって、家の準備を始めました。5歳と3歳の男の子がいるので、いつも散らかっていましたから。でも、その興奮は心配に変わりました。その時に「自由への旅」の学びがあったらよかったのにと思います。心配の種は、大人数の10代の女の子たちをどう世話をすればよいかということでした。例えば、寝る場所・食べ物・送り迎え・コミュニケーション(ジャニスは基礎的な日本語をしゃべれますが、私の日本語は、タクシーに乗る時に使う「左・まっすぐ・ここです」ぐらいです)
また、10代の子ども、特に女の子に接した経験がまったくありませんでした。クリスチャンとしてもまだ未熟で、主のよき証人となれるのかとても心配でした。驚くことに、主は、4人ではなく、土壇場になって6人の女の子を送ることにしたのです。そのことがわかったのは、キャンプの初日でした。予定よりも多いー私たちはすっかり混乱してしまいました。主は、ご自身の条件で間違いなく物事を成されます。
私たちは、神に助けを求めて祈りました。また、参加する女の子すべてがイエスを救い主として受け入れることができるようにと、大胆に祈りました。
主は、私たちの心配も数的な問題も、ちゃんと配慮して下さいました。最後に送られた子が、中国から来たクリスチャンで、日本の大学で勉強していたのです。彼女は言語の問題を解決してくれただけでなく、他の女の子達のリーダーシップをとってくれました。キャンプの期間中、女の子達は一人ずつキリストを受け入れました。私たちは、彼女達の喜びを分かち合い、たった一週間で、
彼女達がどのように変えられたかを目撃することができました。キャンプ最終日、最後に残った子もキリストを受け入れました。その子は、教会環境の中で育ちました。彼女の父親は東京にある日本の教会の牧師です。これまで福音が彼女の心に届かなかったのに、たった一週間で、彼女はキリストを救い主として受け入れました。神を賛美します。私たちの神はすばらしい!
ジャニスと私が神に喜んで用いられたいと思っている限り、神は私たちのことを用いるのだと示して下さいました。そして、神を信頼しなければなりません。他のことは神様が配慮して下さるので、心配など必要ないのです。私たちは神に認められたくて、このプログラムにサインアップしましたが、神はそれ以上のものを与えて下さいました。神はすばらしい信仰の旅を与え、私たちを祝福して下さいました。その旅の中で、人の人生を変え、私たちの信仰も強めて下さる神の力を目撃することができました。私たちの家族の救いを大胆に祈り続ける希望を確かに与えられました。
神を賛美します。神はすばらしい!本当にすばらしいお方です!
皆さんも、今年ホストファミリーにサインアップして下さい。
ありがとうございました。
週報の中にキャンプの案内があります。それを読んで、キャンプに参加したいと思っている人に伝えて下さい。また、レスポンスカードには、このキャンプの助けとして5つの方法が書いてあります。
学生たち・スタッフ・ボランティア.45に参加する学校のために祈ります。
45の配布活動に参加し、サポートします。
45キャンプを宣伝することに興味のある学校との連絡係をします。
45キャンプを手伝います。
45キャンプに参加の学生のためにホームステイスポンサーになります。
導かれていると感じたら、このカードに記入し提出して下さい。
神に仕えることも神の栄光のために生きることも代価が伴います。簡単ではありません。実際、不可能です。正直に言って、キリストのために犠牲にならない方が簡単です。自分の栄光や満足のために生きる方が簡単です。この世の大多数の人が自分のために生きています。多くのクリスチャンもそうです。ただ簡単に、喜びをすぐ味わえるからです。では、何故キリストのために生きる人生を選択するのでしょう?
その答えは、本当に神のみことば(聖書)を信じているかどうかにかかっています。皆さんの現実が神の言うことと違っているのであれば、人生で違った歩み方をするでしょう。真実だと信じていることによって人生の生き方はまるっきり変わります。
例えば、私は昔、飛行機に乗ることが嫌いでした。特に激しく揺れている時が嫌いでした。なぜでしょう?それは怖かったからです。激しく揺れると放送されると、私は、「飛行機がおかしくなって、墜落したらどうしよう。死んでしまったらどうしよう。」と思ったのです。自分の人生をコントロールできない状態が恐ろしかったです。私はパイロットのなすがままだったのです。
しかし、それから私は神が主権であることに気付きました。真実は、私がコントロールするのではなく、いつも神のなすがままなのです。飛行機を飛ばし続けることもできるし、落とすこともできるのは、神だけです。神が、私は飛行機事故で死ぬと決めたら、私は死ぬでしょう。そして、もし神が私に生きてほしいと思うのであれば、私は死にません。しかし、皆さんが神が主権であることを信じなければ、人生に起こる多くの事に恐れ、心配し不安になることでしょう。
私がいいたいのは、信じていることが現実を見る物差しとなるということです。もし、この世の生活がキリストよりもよいと信じるのなら、キリストよりもこの世の楽しみを選ぶでしょう。しかし、キリストがこの世の何よりも優れていると信じるのなら、そのように生きるでしょう。今日の質問です。皆さんは、今どちらの生き方をしていますか? 一時の楽しみのためですか? それともキリストのためですか?
多くのノンクリスチャン、また多くのクリスチャンもこの世のために生きています。遅かれ早かれ死が訪れ、持っている物やそれまでに成し遂げて来た事をすべて取り去ってしまうことを、忘れています。キャリア・教育・お金・友達や家族など、大切にしているものすべてがなくなり、お墓に入る時は何の価値もなくなるのです。それでも、今目前にあるもので、人生を測ろうとしています。
これがあてはまるのであれば、パウロが言っている事をとても不快に思うかもしれません。パウロは、そういう生き方をしているのであれば、本当に生きているとはいえないと言っています。なぜでしょう? この世は過ぎ去っていくからです。皆さんは人生を無駄にしています。真に生きるということは、この世の何かや自分のためにではなく、キリストのために生きることです。
皆さんが、今キリストのために生きていないならば、人生を無駄にしています。そう言われて感情を害する方も、「そんなことはない」と言う方もいらっしゃると思います。しかし、死の瞬間、この世のむなしさに気付くとき、この言葉は、皆さんの心をナイフのように切断し、それが真実だとわかると思います。
ここで質問をさせて下さい。皆さんは、キリストのために生きていますか? 人生を無駄にして生きていますか? この質問の答を知る方法のひとつとして、まず次の質問に答えてみて下さい。なぜクリスチャンとして生きたいと思うのですか? クリスチャンとして生きる理由はなんですか?
なぜ教会にいって、お祈りし、聖書を読むのですか? 良心に安らぎを感じたいからですか? 友達を作りたいからですか? 地獄に行きたくないから、天国へ行きたいからですか? それともキリストのためですか? 世の中の何よりもキリストを求めていますか? 天国よりもキリストを求めていますか?
もし、キリストのために生きているのであれば、キリストが与えて下さる恩恵のためにクリスチャン生活を選んだ等という答えは出て来ないはずです。キリストを愛していて、他の何よりもキリストを求めているから、キリストのために生きるのです。
他の理由はありません。キリストを愛しているからキリストのために生きるのです。
キリストを愛していないのにクリスチャンとして生きるのは、偽善者です。律法主義です。そんな生き方は皆さんに満足を与えないし、死・罪・地獄から救いだしてくれません。キリストを愛していますか?
クリスチャンの人生は簡単ではありません。大変です。「私たちが神の御国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」(使徒14:22 新改訳)
パウロも第2テモテ3:12で「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(新改訳)と言っています。つまり、クリスチャンは誰でも(皆さんも含まれます)嫌われ、苦しみ、信仰のために殺される可能性があるということです。
キリストは何度も「あなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、私の名のために、みなの者に憎まれます。」(ルカ16-17 新改訳)というような話をしています。他の箇所では「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:33
新改訳)と言っています。
多くの人は、キリストを信じれば、神が快適な人生を約束して下さり、問題が解決できると思っています。しかし、神は安全を約束しているのではありません。金持ちになることや健康、この世の安全を約束しているのではありません。それどころか、神はあなたが苦しみと迫害を受けると言っています。
キリストのために生きたいと願うと、苦しみや迫害もあります。キリストのために生きようとすればするほど、より大きな苦しみや迫害も受けます。それでも、快適な人生よりキリストを望みますか? キリストのために生きる準備ができていますか?
事実、キリストに従うには高い代価が伴います。かなり大きな額を支払う事になるでしょう。では、なぜクリスチャンとして生きたいと思うのでしょうか? それによって、何を得るのでしょうか? ただすべてを失ってしまうように感じます。どうしてキリストに従うのでしょうか?
最近の出来事をひとつ話したいと思います。(2007年10月25日) 45歳の中国人、ハウ・ハウクィのお話です。彼は1990年にクリスチャンとなりました。
北京教会のメンバーで人権問題活動家のハウ・ハウクィは、司法妨害という理由で今年の初め、投獄されたのですが、またしても警察に容赦なく攻撃されました。彼の年老いた母親は息子に圧力をかける目的で二年間投獄されていましたが、容赦なく攻撃され、まさに死にかけている状態です。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ(国際人権NGO)によると、中国のクリスチャンは、反体制派として過去5年間で最もひどい弾圧を受けています。その中にハウ・ハウクィがいて、彼は地方から公平を求めて北京へ移動する貧しい人たちのための活動をしていることで、警察に目をつけられるようになりました。
弾圧が始まったのは、2008年のオリンピック大会の準備のために彼らの家を取り壊すときでした。強制取り壊しの際、警察はハウと彼の母親のシャング・シャングを痛めつけました。ハウと母親が2008年のオリンピックホテル建設予定地の近くを歩いていたとき、7人の警察が彼らを攻撃して、けり始めたのです。
ハウが警察に母親を釈放するように訴えかけると、警察は何度も彼を殴り倒しました。拘置所へ連れて行く前に、0度以下の冷たい水をかけ、震え上がらせました。
警察官が絶え間なく、拘束中のハウに、「仲間の名前を教え、クリスチャンとしての働きを放棄したら、母親を手放す」と言ったそうです。彼は断りました。6ヶ月後の7月に釈放されても、彼の試練は終わりませんでした。
公安省の役人が彼をあまりにも激しく叩いたため、彼は3日間意識を失い、病院での治療を受ける必要がありました。CHINA AIDのレポートによると、24人もの警察官が医者の格好をして、彼のベッドを囲み、報道者や家族が会えないようにしていたそうです。
そして彼が病院から家へ戻った数時間後に、もう一度家で殴り倒されました。情報源によると、ハウがベッドの隣のトイレを使おうとした時に、公安省の役人が彼を攻撃し始め、強制的に、彼と傷の手当をしていた妻のウェイ・ジュメイをベッドルームに閉じ込めました。
最近でも、彼の家族は継続的に嫌がらせを受けているそうです。大勢の警察が家に侵入したり、窓が壊されたり、電気を止められたり、玄関が開かないようにされているのです。ベッドルームに強い光が当てられることもあります。
これに対してハウは次のようなコメントをしています。「家族はすべて自由を失いました。中国警察のために祈って下さい。神が彼らの心をひらき、母親を一刻も早く手放すように祈っていてください。私が生きても、死んでも、それは重要な事ではありません。キリストが私の上に輝き、福音とキリストの愛が広められる限り。」このような対応が彼にできたのは、神の奇跡によるものです。
ハウの話は本当にすばらしい! 何故彼はそれ程までのリスクを負ったのでしょうか? 彼が持っているすべてを失って、何を得るのでしょうか? 答えはシンプルです。彼はキリストを得ます。彼にとって、キリストは死に値するのです。
パウロは言いました。「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者として認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」(ピリピ3:8-9 新改訳)
これが、パウロとハウのキリストに対する考え方です。キリストのために生きる者の考え方です。「これまではこの世に捕われていて、悲しみや罪の罠にはまっていました。でも今、私にはキリストがいます。キリストを与えて下さい。私が必要とするすべてなのです。キリストは私の宝です。」
皆さんはいかがですか? 皆さんの宝は何ですか? 希望は何ですか? もし、幸せになるチャンスがこの世にしかないとお考えなら、そのような生き方をするでしょう。この世でできる限りの満足を得ようとするのです。
パウロは第1コリント15章で「30 なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。31 兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。32もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と闘ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者の復活がないのなら、『あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。』ということになるのです。」(30-32節 新改訳)と言っています。
彼は基本的にこう言っています。「私はキリストのために自分自身を捨てます。試練や迫害にも耐えます。もし、キリストが神でなく、私がただ死んで消えてなくなるのであれば、私は人生を無駄にしたということになります。もし、キリストが神ではなく、死者が復活しなければ、この世の楽しみで人生を満たすことになります。」
14節では、「そして、キリストが復活されなかったのなら、わたしたちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」(新改訳)
17−19節では、「17そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。18
そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。19 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」(新改訳)と言っています。
クリスチャンの皆さん、もしキリストについてのことすべてが嘘であると思うなら、私たちは惨めなものです。
しかし、パウロは20節で「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」と言い、33−34節で「33思い違いをしてはいけません。友達が悪ければ、よい習慣がそこなわれます。34目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。」(新改訳)と言っています。
もし、私たちが自分自身とこの世に焦点を当てて人生を生きているのであれば、目覚める必要があります。私たちには、キリストが永遠に共にいて下さるのです。私たちは天に宝を蓄えています。私たちには、神の怒りや罪の災いがあったとしても、希望のメッセージが与えられています。私たちには、今神の栄光のために人生を注ぎ込む機会が与えられています。
キリストの栄光のためになされなければならないことは実に多くあります。私たちは人生を無駄に過ごすか、キリストのために忙しくするか、選ぶのです。しかし、キリストこそが、この世の誰より、また何よりも、喜びを与え心を満たしてくださる方だとわからない限り、私たちは、キリストのために人生を捧げることはできません。
キリストの美しさを見ることなしに、自分を100%キリストに与えることはありません。キリストは、神であるにもかかわらず、父なる神の怒りをご自身で受け、私たちの罪のために砕かれ、私たちが敵である時でさえも、私たちのことを愛して下さいました。キリストの流された血によって、私たちは、父なる神との和解の道が用意され、すべての罪が赦され、完全に義とつくりかえられ、永遠の命を得られたのです。キリストは賛美と栄光、そして私たちの人生すべてに値するお方です。しかし、そのことがわかるまで、キリストのために生きることはできません。
神に「私の目を開き、キリストの美しさが見えるようにして下さい」と求めて、祈りましょう。「神様、キリストの美しさと十字架が見えるように、私の目を開いて下さい。キリストの御名を讃え掲げるための情熱を与えて下さい。」と祈って下さい。自分の人生やこの世の何よりもイエスを愛する志を持ってください。パウロが言うように「生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」と言えるように努めましょう。
最近世界で起きている天災のことをご存知ですね。大地震がこの町に起こるのは時間の問題で、想像もできないような数の人が滅びてしまうかもしれません。もし、私たちクリスチャンが、罪の喜びやこの世のものにしがみついていたら、友や家族や同僚を助けることなど決してできないでしょう。この町や国の99%の人々が地獄に行ってしまうかもしれないのです。それは何故でしょう? 私たちがキリストよりも自分やこの世を愛しているからです。
何と悲しく、恐ろしい出来事でしょう!私たちが主よりもこの世を愛しているために、人々が地獄に行く結果となるかもしれないなんて。どうしたらそんなことができるのでしょう。何と恥ずべき、醜い罪でしょう! 私たちは嘆き、今日その心を変えて下さいと神にお願いする必要があります。キリストのため、そして迷い人のため、私たちは世に出て行って、キリストのために生きなければなりません。
皆さんは何にしがみついていますか? 何に希望を置いていますか? 今考えてみてください。皆さんの希望はお金、評判、結婚、恋愛、キャリア、家族に置かれていますか? 何を手放さないのでいるのでしょうか?
私たちには、まだ時間があります。まだ残りの人生が与えられています。キリストのために生きて、それを世に伝える時です。それが今日です。明日ではありません。今、キリストのために生きる決心をするように示されています。そうしたいと思いますか? そう思うなら、今、して下さい。
「キリストとその栄光のために生きて死ぬ」という神様の命令に答えるためには、いろいろな方法があります。ひとつの小さなステップとして、45キャンプのサポートがあります。ホームステイ、キャンプのための一週間の奉仕、キャンプを地域に宣伝するなど、何らかの代価が必要ですが、神の栄光のためにそれを行うなら、価値のあることです。
生きることはキリスト、死ぬことも益です!
私は、45キャンプや他の奉仕をしなくてはならないとは言っていません。私が言いたいことは、皆さんの人生を完全にキリストに与えて下さいということです。キリストが示されたことはすべて、行って下さい。キリストの御手に自分を委ねて下さい。罪やはかない楽しみを捨てて下さい。キリストの名によって苦しみをも受けて下さい。そうすれば、キリストの栄光と美しさを見ることができます。もっとキリストを愛するでしょう。キリストの名のために、神が示されることは何でも行い、御子のための人生を精一杯歩みましょう。キリストのために生きて、死にましょう!
祈りましょう。
クリス・マカトリー
2008年5月24日&25日
東京バプテスト教会